中国に行ってきた:2.曲阜

曲阜に行った話

北京に行った話はこっち:中国に行ってきた:1.北京

五日目(北京→济南→曲阜)

北京南站から济南西站へ!
2時間半しか乗らないのに軟臥でもったいない。
ベッドは三段(うち一段畳んである)で、明るいうちはみんな下の段のベッドに座る。
しばらくして济南西站に着いた。北京で知り合った济南在住の中国人とは都合が合わなくて会えないということになっていたので、そのまま曲阜に向かうことにした。

路線バスで济南汽车站に移動して、長距離バスの切符を買った。初めての長距離バス。

乗ってから途中までは高速道路っぽいところを走っていたけれど、泰山が見えることになると道路の舗装がなくなった。すごく田舎っぽかった。

バス停じゃないようなところで人を降ろしていくので、心配になって隣の青年に「到曲阜请告诉我,可以吗?(曲阜に着いたら知らせていただけますか)」と紙に書いて見せた。ちゃんと教えてくれて、济南から2時半ほどで曲阜のよくわからない交差点で降りることができた。

あたりを見回すと曲阜汽车站が見えたのでとりあえず行ってみた。路線バスの停留所を見ても、どこに行けばユースホステルの近くに行くのかよくわからない(実は前々日に調べてメモしていたのにすっかり忘れていた)。

輪タクシーのおばちゃんが寄ってきたので、地図を見せて教えてもらった。バスは近くには行かないらしい(これは本当だった)。三輪タクシーの値段を聞くと20元。「高すぎる。いらないです。」(中国語)と言って離れると、「走るのか?遠いよ。」と言ってきた。それで「若いし走る」と返した。

それでも付いてきて、今度は「スークァイ」(クァイは元という意味)と言う。スー=4?4元だったらバスとそれほど変わらない。乗ることにした。
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ちゃんとホステルの目の前まで連れて行ってくれた。「あなたの根気にはまいった」と紙に書いて見せると喜んでいた。お金を渡すときになって、5元札を渡すと足りないと言う。「スー」は4(si)じゃなくて、10(shi)だったらしい。訛りは恐ろしい。

無事3時半頃に曲阜のユースホステルにチェックイン。今回はちゃんとネットが使える。
次の目的地の苏州には曲阜站ではなく、曲阜汽车站からバスで15分くらいの兖州站からの方が鉄道の本数も多く、便利らしいので、交通手段の確認がてら切符を買いにいった。

兖州に着いて掲示板を見ると、お目当ての切符が売り切れ。乗りたかったのは次の日20時25分発の夜行列車。苏州まで10時間。无座(席無し。運が良ければ座れるけれど可能性は低い)なら残っている。次の候補は午前4時発車。こちらは寝台が残っているが、午前4時まで駅で待つのは辛い…。

考えた結果、20時の无座を買うことにした。窓口に行くと、なんと硬座(指定席)が残っているらしい。なんかよくわからないけど座れる?苏州まで87元(1000円くらい)だった。

帰りに兖州のバスのりばのおじさんに韓国人かと聞かれて、日本人だと言うと「ヨシ!」と返された。本当に「ヨシ!」って日本語は有名なんだ、と感慨深かった。

帰りも変な三輪タクシーに捕まった。今回はちゃんと確認して、5元でいいというので乗った。すると3kmほど残して途中で止まってしまった。着いたと言い張る運転手。めんどくさかったのでそこで降りて歩くことにした。
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途中で曲阜の有名な夜市に寄った。屋台がひしめいていた。その間を縫って人と自転車とオートバイが走る。煎饼(野菜や片栗粉の塊みたいなものを、小麦粉の皮で包んだもの)を買い、広場で中国の人々が体操や社交ダンスをするのを眺めながら食べた。


六日目(曲阜→夜行列車)

夜行列車に備えて長めに睡眠をとった。宿に荷物を預けて、曲阜の城壁の周りを一周することにした。孔子の故郷ということで、孔子ゆかりの名所があるが、フルパスが150元もする。外から眺めるだけでいいや。
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城壁は周・春秋時代の魯国があった名残らしい。城壁の周りには堀があって、水が流れている。遠くから眺めると風情があるけれど、ひどく汚れていて近づくと悪臭がした。
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昨日の夜市の通りを外に抜けると、そこにも屋台が並んでいた。こちらは食材を売っているものが多い。狗肉(犬の肉)もあった。南東の城壁の内側は、

看板屋が立ち並んでいて面白かった。横にシートの上にガラクタみたいなものを広げて売っている人がいた。id:uiureo共産党グッズを買ってきてと言われていたので、それっぽいものを選んで買った。

南端から北端へ時計回りに回る道のりは店は少なく主に民家が並んでいた。城壁の中心部は服屋があったり靴屋があったりして近代的なのに、ほんの少し離れた途端に田舎っぽくなる。これは曲阜に限ったことではないけれど。

一周回ってもまだ出発までは時間がある。孔子の墓の近くにバスで行ってみようとバス停で待っていると、中学生くらいの女の子2人が話しかけてきた。

英語がまったくダメみたいなので筆談でがんばる。どうやらお金があまりなくて、お腹が空いているからお金をくれということらしい。怪しい。けれど、わりと粘るので1人2元くらいあげることにした。計4元を出すと、「少ない、10元欲しい」と言ってきた。確かに少ないと思うけどなんて図々しいんだ…。結局4元もらって去っていった。ただのカツアゲだったけれど、暇が潰せたのでよかった。いい時間になったので孔子の墓に行くのはやめて、荷物を持って兖州に移動した。

夕食は兖州站の近くの食堂。おばちゃんが厨房に連れていってくれて、食材を指さしながら料理を教えてくれた。味はそこそこだったけれど、量が多くて満腹になった。

兖州站のトイレはなかなか強烈だった。小は部屋の端に溝があるだけ。大はその溝に仕切りがついているだけ。もちろんトイレットペーパーは置いてない。

20時5分ころに改札が開いた。それまで並んでいた人々が列を崩して雪崩れ込む。せっかく並んでいたのに。

ホームには車両の番号が書いていない。それなのに人々はぽつぽつ固まっている。どういうことだ?と見ていると、列車がホームに入ってきてから大移動が始まった。勘で並んでいたのか…?
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硬座車両は荷物と人が詰まっていた。荷物棚は既にいっぱいで、バックパックは椅子の下に入れた。
暇つぶしに持っていった新渡戸稲造の『武士道』を読んでいると隣の人が興味を持ってくれて、少し話した。北京に仕事に行っていて帰るらしい。この人はしばらくして降り、かわりに20代後半?の女の人が座った。

列車の中では、おばちゃんが飲み物を売っていたり、おじさんが数珠を売っていたり、乗務員みたいな人までおもちゃを売っていたりした。

2時間ほどすると、座っていた対面席だけじゃなくて、反対側の席の人も一緒に会話のようなものをした(ほとんど聞き取れないので、隣の人に書いてもらった)。車両の前や後ろからも興味を持った人が寄ってきて賑やかになった。「日本の男性はなぜ女性の尻に敷かれるのか?」という質問が飛んできて困った。なんでだろう。

夜行列車の硬座車両は、通路で寝る人、椅子の下に潜って寝る人までいて、過酷な場所だったけれど、一方では見知らぬ人同士で談笑したり、お年寄りや幼い子供、女性に席を譲り合ったりする、人間味あふれる場所だった。

明け方、車窓から南京の長江とまだ眠ったままの街並みを見た。美しかった。

6時半ごろ苏州站到着。

結局、隣の女性が何回ももたれかかってきたせいで全然眠れなかった。

しばらく夜行列車はいいや、と思った。