中国に行ってきた:4.上海

上海に行った話

北京行った話はこっち:中国に行ってきた:1.北京
曲阜行った話はこっち:中国に行ってきた:2.曲阜
蘇州行った話はこっち:中国に行ってきた:3.苏州(蘇州)


十一日目(苏州→上海)

苏州を出発して40分ほどで上海についた。
春に中国に来た時、まず泊まったホテルが上海站の近くだった。
苏州站からは上海虹桥站へ行く列車が多かったけど、春に初めて降り立った上海站が見たくてわざわざ選んで切符を買った。
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今回は何も失くしていないので心の余裕が違う(前回は飛行機に携帯電話を忘れた)。

地下鉄で南京东路へ移動し、春にも泊まった上海旅行者青年旅舎にチェックインした。ここは非会員一泊60元で、綺麗なユースホステル。ちょっと部屋が狭いのが難点だけど。
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昼は歩行者天国になっている新世界で吉野家の牛丼を食べた。こっちの牛丼セットはコーラと茶碗蒸しがついている。どんな米を使うのかと思ったら、あれはたぶん日本米だった。美味しかった。

ご飯を食べてから上海书城(上海書城)という大きな書店に行った。お目当ては技術書の英語版。日本で買うより中国で買うほうが圧倒的に安い。オライリーの『Learning Ruby(初めてのRuby)』と、Fred Brooksの『The Mythical Man-Month(人月の神話)』を買った。どちらも29元(350円くらい)。幸せ。

Learning Ruby

Learning Ruby

Mythical Man-Month, The: Essays on Software Engineering, Anniversary Edition

Mythical Man-Month, The: Essays on Software Engineering, Anniversary Edition


その後、京都大学大学院に行ってる中国人の友達、の彼女!(本人は忙しくて来れなかった)と上海を観光した。上海の通りは、中国の地名に由来していることを教えてもらった。確かに地図をみると、南京路や北京路、曲阜路まである。なるほどなあ…。

途中で月饼(月餅)食べた。油っぽかったけど食欲をそそる味だった。
夜は大学院生も交えて、枣阳路に面した店で東北料理を食べた。地三鲜という料理が日本のチンジャオロースと同じような味付けでおいしかった。

中国の地下鉄は日本より終電が早い。急いで駅に行ってホステルに帰った。
部屋に戻ると四人部屋なのだけれど西洋人の女性が一人居るだけだった。今回はやたら西洋人女性と同室になる確率が高かった。


十二日目(上海→日本)

帰りの飛行機は15時25分。

午前中は近くの上海博物馆(上海博物館)に行った。入館無料。
どこへ行っても韓国人に間違えられるから、今回はいつも被っていた帽子を脱いで行ってみた。でもやはり入り口で韓国人と思われた。
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博物館は4階建てで、1階が青銅器と彫刻、2階は陶器、3階は書と絵画、4階は民族工芸から古銭、家具、玉器。近代の展示物より古代の展示物が充実しているのが特徴(らしい)。
民族工芸の展示部屋で民族の分布図を見ていると、自分が目にした中国は、中国の一部に過ぎないんだという感じがした。

すべて見終わると12時を回ってしまったので、急いで荷物を取りに戻って地下鉄に乗った。

3,40分で着くと思っていたら、意外と時間がかかって空港に着いたときは14時5分ころだった。浦东国际机场はターミナルが2つあって。はじめ逆のターミナルに行ってしまった。
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急いでチェックインして出国審査受けて、搭乗開始ぎりぎりに搭乗口についた。ターミナルの番号気づけなかったら危なかった。

飛行機に乗った時に、キャビンアテンダントに「座席何番ですか?」(日本語)と聞かれて、「五十六」(中国語)と返したら中国語で案内された。適当に对对言いながら席に座った。
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隣に中国人の夫婦がいて、そのおじさんと少し話をした。ツアー客で、はじめて日本に行くらしい。大阪と京都を観光すると言っていた。

機内食にそうめんみたいなものが出てきた。
おじさんは変な味がする、と言って食べられなかった。ワサビがダメだったらしい。

日本時間18時ごろ、下に明かりが見えてきた。
明かりはどんどん増えていって、窓の外に街があるのがよくわかった。

なにか喪失感みたいなものを感じた。
京都に帰ったら、またいつも通りの生活に戻るのだなあ…。

飛行機が着陸したとき、外を見ているおじさんに、大阪に着きましたねと言ってみた。
するとおじさんは、「君は帰ってきたね」と言った。

中国に行ってきた:3.苏州(蘇州)

曲阜から夜行列車に乗って、父の住む苏州(蘇州)に行った話

北京行った話はこっち:中国に行ってきた:1.北京
曲阜行った話はこっち:中国に行ってきた:2.曲阜


七日目(苏州)

夜行列車での眠れぬ夜を過ごして、朝6時半ごろに苏州站到着。

苏州には単身赴任の父が住んでいる。
駅を出てバス停に着いたところでちょうどバスが行ってしまったので、タクシーに乗ることにした。10分ほどで到着。出勤前の父に会った。
部屋に入ってシャワーを浴び、ソファーで横になった。何か一つの旅の終わりを感じた。
そのまま寝てしまった。次に起きて時計を見たら16時だった。寝過ぎた。
仕事から帰ってきた父と晩御飯を食べて寝た。


八日目(苏州↔扬州)

朝、長距離バスで扬州(揚州)に向かった。2時間半ほどで着いて、昼ごはんを食べた。本場の揚州炒飯。やっぱりご飯が白い。
扬州では痩西胡に行った。杭州にある西胡の痩せてる版みたいな名前。
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実際は西胡とは全然違う細長く入り組んだ湖で、なかなか風情があった。


北上して大明寺に行った。
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ここは鉴真(鑑真)ゆかりの地で、日本の唐招提寺東大寺とも関係が深い。

臥仏殿という建物の中に寝転んだ大仏がいた。
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建物に入った瞬間目が合った。


九日目(苏州)

苏州の東にある大きな湖、太湖に行った。地下鉄とバスを乗り継いで2時間ほど。その広さと屋台から漂う魚の干物の匂いのせいで海に来たみたいに感じた。
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石山公園という山を囲んだ公園と、林屋洞という洞窟に行った。
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洞窟はスケールが大きい。ただ、色付きのライトのせいでギラギラしていた。

帰りに苏州站で2日後の上海までの切符を購入。夜は広東料理を食べた。


十日目(苏州)

父が仕事で出ていったので、一人行動。
朝ごはんを食べてから苏州大学を見に行った。門には守衛がいたけど通れた。
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苏州大学は北京で見た清华大学よりずっと小さい。でもツタをめぐらせた古い建物があったりして雰囲気が良かった。
こちらも軍訓をしていて、軍服を着た一年生がうじゃうじゃいた。
食堂の横では学生がライブをしていた。日本と同じだと思った。
3つに分かれたキャンパスを歩きまわると昼過ぎになっていた。

昼ごはんを食べてから平江路というところを歩いた。
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水路沿いの道で、昔ながらの街並みが美しい…とガイドブックにあったが、観光客向けのカフェや土産物が多くて少しがっかりした。

次に苏州の有名な虎丘に行った。
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頂上に地盤沈下で傾いた塔がある。綺麗な公園だった。

部屋に帰ってから、ソファーに寝転がって「天天把歌唱」っていうCCTVの歌番組をずっと見ていた。
「我要去延安」っていう歌がインパクトあった。

《唱响中国》优秀歌曲MV展播— 我要去延安
すごく延安行きたそう。

あと「相亲相爱」っていう歌も妙に耳に残った。

中央电视台2010年春节联欢晚会【7】歌曲《相亲相爱》—孙楠、王力宏等

CCTVの番組はネットでも見れるみたい。


十一日目(苏州→上海)

朝8時、久しぶりのバックパックを背負って出発した。
上海站へ。

中国に行ってきた:2.曲阜

曲阜に行った話

北京に行った話はこっち:中国に行ってきた:1.北京

五日目(北京→济南→曲阜)

北京南站から济南西站へ!
2時間半しか乗らないのに軟臥でもったいない。
ベッドは三段(うち一段畳んである)で、明るいうちはみんな下の段のベッドに座る。
しばらくして济南西站に着いた。北京で知り合った济南在住の中国人とは都合が合わなくて会えないということになっていたので、そのまま曲阜に向かうことにした。

路線バスで济南汽车站に移動して、長距離バスの切符を買った。初めての長距離バス。

乗ってから途中までは高速道路っぽいところを走っていたけれど、泰山が見えることになると道路の舗装がなくなった。すごく田舎っぽかった。

バス停じゃないようなところで人を降ろしていくので、心配になって隣の青年に「到曲阜请告诉我,可以吗?(曲阜に着いたら知らせていただけますか)」と紙に書いて見せた。ちゃんと教えてくれて、济南から2時半ほどで曲阜のよくわからない交差点で降りることができた。

あたりを見回すと曲阜汽车站が見えたのでとりあえず行ってみた。路線バスの停留所を見ても、どこに行けばユースホステルの近くに行くのかよくわからない(実は前々日に調べてメモしていたのにすっかり忘れていた)。

輪タクシーのおばちゃんが寄ってきたので、地図を見せて教えてもらった。バスは近くには行かないらしい(これは本当だった)。三輪タクシーの値段を聞くと20元。「高すぎる。いらないです。」(中国語)と言って離れると、「走るのか?遠いよ。」と言ってきた。それで「若いし走る」と返した。

それでも付いてきて、今度は「スークァイ」(クァイは元という意味)と言う。スー=4?4元だったらバスとそれほど変わらない。乗ることにした。
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ちゃんとホステルの目の前まで連れて行ってくれた。「あなたの根気にはまいった」と紙に書いて見せると喜んでいた。お金を渡すときになって、5元札を渡すと足りないと言う。「スー」は4(si)じゃなくて、10(shi)だったらしい。訛りは恐ろしい。

無事3時半頃に曲阜のユースホステルにチェックイン。今回はちゃんとネットが使える。
次の目的地の苏州には曲阜站ではなく、曲阜汽车站からバスで15分くらいの兖州站からの方が鉄道の本数も多く、便利らしいので、交通手段の確認がてら切符を買いにいった。

兖州に着いて掲示板を見ると、お目当ての切符が売り切れ。乗りたかったのは次の日20時25分発の夜行列車。苏州まで10時間。无座(席無し。運が良ければ座れるけれど可能性は低い)なら残っている。次の候補は午前4時発車。こちらは寝台が残っているが、午前4時まで駅で待つのは辛い…。

考えた結果、20時の无座を買うことにした。窓口に行くと、なんと硬座(指定席)が残っているらしい。なんかよくわからないけど座れる?苏州まで87元(1000円くらい)だった。

帰りに兖州のバスのりばのおじさんに韓国人かと聞かれて、日本人だと言うと「ヨシ!」と返された。本当に「ヨシ!」って日本語は有名なんだ、と感慨深かった。

帰りも変な三輪タクシーに捕まった。今回はちゃんと確認して、5元でいいというので乗った。すると3kmほど残して途中で止まってしまった。着いたと言い張る運転手。めんどくさかったのでそこで降りて歩くことにした。
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途中で曲阜の有名な夜市に寄った。屋台がひしめいていた。その間を縫って人と自転車とオートバイが走る。煎饼(野菜や片栗粉の塊みたいなものを、小麦粉の皮で包んだもの)を買い、広場で中国の人々が体操や社交ダンスをするのを眺めながら食べた。


六日目(曲阜→夜行列車)

夜行列車に備えて長めに睡眠をとった。宿に荷物を預けて、曲阜の城壁の周りを一周することにした。孔子の故郷ということで、孔子ゆかりの名所があるが、フルパスが150元もする。外から眺めるだけでいいや。
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城壁は周・春秋時代の魯国があった名残らしい。城壁の周りには堀があって、水が流れている。遠くから眺めると風情があるけれど、ひどく汚れていて近づくと悪臭がした。
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昨日の夜市の通りを外に抜けると、そこにも屋台が並んでいた。こちらは食材を売っているものが多い。狗肉(犬の肉)もあった。南東の城壁の内側は、

看板屋が立ち並んでいて面白かった。横にシートの上にガラクタみたいなものを広げて売っている人がいた。id:uiureo共産党グッズを買ってきてと言われていたので、それっぽいものを選んで買った。

南端から北端へ時計回りに回る道のりは店は少なく主に民家が並んでいた。城壁の中心部は服屋があったり靴屋があったりして近代的なのに、ほんの少し離れた途端に田舎っぽくなる。これは曲阜に限ったことではないけれど。

一周回ってもまだ出発までは時間がある。孔子の墓の近くにバスで行ってみようとバス停で待っていると、中学生くらいの女の子2人が話しかけてきた。

英語がまったくダメみたいなので筆談でがんばる。どうやらお金があまりなくて、お腹が空いているからお金をくれということらしい。怪しい。けれど、わりと粘るので1人2元くらいあげることにした。計4元を出すと、「少ない、10元欲しい」と言ってきた。確かに少ないと思うけどなんて図々しいんだ…。結局4元もらって去っていった。ただのカツアゲだったけれど、暇が潰せたのでよかった。いい時間になったので孔子の墓に行くのはやめて、荷物を持って兖州に移動した。

夕食は兖州站の近くの食堂。おばちゃんが厨房に連れていってくれて、食材を指さしながら料理を教えてくれた。味はそこそこだったけれど、量が多くて満腹になった。

兖州站のトイレはなかなか強烈だった。小は部屋の端に溝があるだけ。大はその溝に仕切りがついているだけ。もちろんトイレットペーパーは置いてない。

20時5分ころに改札が開いた。それまで並んでいた人々が列を崩して雪崩れ込む。せっかく並んでいたのに。

ホームには車両の番号が書いていない。それなのに人々はぽつぽつ固まっている。どういうことだ?と見ていると、列車がホームに入ってきてから大移動が始まった。勘で並んでいたのか…?
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硬座車両は荷物と人が詰まっていた。荷物棚は既にいっぱいで、バックパックは椅子の下に入れた。
暇つぶしに持っていった新渡戸稲造の『武士道』を読んでいると隣の人が興味を持ってくれて、少し話した。北京に仕事に行っていて帰るらしい。この人はしばらくして降り、かわりに20代後半?の女の人が座った。

列車の中では、おばちゃんが飲み物を売っていたり、おじさんが数珠を売っていたり、乗務員みたいな人までおもちゃを売っていたりした。

2時間ほどすると、座っていた対面席だけじゃなくて、反対側の席の人も一緒に会話のようなものをした(ほとんど聞き取れないので、隣の人に書いてもらった)。車両の前や後ろからも興味を持った人が寄ってきて賑やかになった。「日本の男性はなぜ女性の尻に敷かれるのか?」という質問が飛んできて困った。なんでだろう。

夜行列車の硬座車両は、通路で寝る人、椅子の下に潜って寝る人までいて、過酷な場所だったけれど、一方では見知らぬ人同士で談笑したり、お年寄りや幼い子供、女性に席を譲り合ったりする、人間味あふれる場所だった。

明け方、車窓から南京の長江とまだ眠ったままの街並みを見た。美しかった。

6時半ごろ苏州站到着。

結局、隣の女性が何回ももたれかかってきたせいで全然眠れなかった。

しばらく夜行列車はいいや、と思った。

中国に行ってきた:1.北京

北京に行った話

一日目(日本→北京)

関西国際空港には出発の2時間前に着いた。
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上海浦东国际机场を経由して北京北京首都国际机场に飛んだ。
北京はこの日大雨で、到着が2時間遅れた。浦东から北京の飛行機の隣席に偶然まったく同じルートの日本人の方がいて、到着までいろいろ話をした。
北京では荷物の受取で少しトラブったけれど、無事受け取ってリムジンバスに乗った。もう7時半だった。

バスでは、後ろに座ったフランス帰りの中国人(ちょっと年上)と話した。フランスへの留学が終わってこれから中国で就職するらしい。英語をしゃべったけれど、ときどきフランス語が出てくる。Japaneseをじゃぽねーぜみたいな。晩御飯を一緒に食べて、アドレスを交換して別れた。

その後、地下鉄で「和平门」に行き、ガイドブックに書いてあるユースホステルを目指す。この時点で9時半くらい。連絡用のプリペイド携帯を買うのは諦めてホステルを目指す。

しかし、地図と照らしながら行ってもユースホステルが見つからない。歩いていると工事現場に迷い込んでしまって、おじさんとお兄さんに呼び止められた。住所を見せると案内してくれた。しばらく歩いたら到着した。2人にお礼を言って、ホステルに入った。

目指していたのは北京远东国际青年旅舍というところで、ここはそこそこ値が張る普通のホテルもくっついている。フロントに着いた時にはすでに10時半ごろで、ホステルに部屋が残ってなかった。

雨も降っているし疲れてもいたので、普通のシングルルームを頼んだ。260元もした。ダブルベッドの部屋だったので、もっと安い部屋はないのか?と聞いたけどないと言われた。

悪いことはこれだけじゃなくて、なぜかWi-Fiがつながらず。メールも確認できなくて本当に困る。それにしてもフロントのおっちゃんは愛想が悪かった…。


二日目(北京)

6時半に起きて、荷物をまとめて7時過ぎにチェックアウト。バックパックをフロントに預けて外に出た。
駅に行く途中に、ガイドブックに載ってなかったLEO HOSTELにチェックインした。12人部屋で1泊50元。地下鉄前门站に近い。
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LEO HOSTELの廊下はこんな感じ。

その後去年知り合った清华の大学院生さんに会うために清华大学に近い五道口站に移動。東工大から留学に来た日本人の大学院生さんも合流して、清华大学のキャンパスツアーをしてもらった。
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施設もいろいろあるけれど、庭園がすごい。大きな池があって蓮が見事だった。昼ごはんは清华大学の食堂の一つで食べた。建物が大きくて、メニューも多種多様。キャンパスでは初めて軍訓(新入生が軍事訓練をする恒例行事)を見た。

その後近くの圆明园へ行った。池に蓮、清华大学でも見たけれど、こちらのは一段とすごい。少し曇った空とマッチしていて、淡い色合いの絵画を見ているようだった。
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世界史の教科書でお馴染みの、アロー戦争で壊された宮殿も見た。実は乾隆帝のお誕生日を祝う場所だったらしい。

晩御飯はお粥。淡白な味で美味しかった。
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丸一日案内してくれた清华の大学院生に本当に感謝です。留学の話とか色々教えてくれた東工大の大学院生にも感謝感謝。楽しい一日だった!

帰ってからWi-Fiを試すも、なぜかiPodだけでしか繋がらず。困る。


三日目(北京)

おととい上半身裸で寝たのがよくなかったか少し体調が悪い。
10時20分頃に宿を出てまず携帯を買った。サムスンの携帯で本体198元(2400円くらい)だった。

それから地下鉄とバスを乗り継いで八达岭长城へ。バスは地下鉄の积水潭という駅の近くから出ていて、片道12元。バスで日本から持ってきた中国語教本を見ていると、隣に座っていたおじさんが興味を持って話しかけてくれた。あまり聞き取れなかったけど、「中国語できなくても漢字がわかるからいいね」みたいなこと言っていた。

八达岭长城に着いてから外に出ると寒かった。晩秋の早朝みたいな感じだった。
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長城の道のりは意外と急だ。階段をつけるレベルなのに階段ついてない。ぽっちゃりした西洋人が苦しそうに登っていた。
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道が急になくなっているように見えるくらいの傾斜(ここはさすがに階段ついてる)。

とりあえず南北に一番高いところまで登って満足したので帰った。

途中で北京站に寄って明後日の济南(済南)までの切符を買った。目的地はさらに南の曲阜だけれど、初日に会った中国人が济南に住んでいるのと、ガイドブックに济南から曲阜への長距離バスが出ていると書いてあったので济南に寄ることにした。2時間半くらいしか乗らないのに寝台車の切符しか取れなくて125元もした。

宿に帰るとWi-Fiが使えるようになっていた。なぜだ。


四日目(北京)

朝起きて宿泊の延長をして、10時ごろに出発した。
まず天安门广场に行った。平日のはずだけれどすごい人出だった。
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ゴミ拾いのおばちゃんが面白かった。カートに乗ってマジックハンドみたいなものでゴミを拾っている。

天安门广场を東に抜け、日本租界、旧横浜銀行などを見つつ王府井へ歩いた。王府井は繁華街で、高そうなものを売っている店がたくさんある。場違い感がすごかったのでそのまま北に抜けて、今度は西に戻って故宫に行った。

入場料が60元と少し高いので迷ったけれど、せっかくなので入ることにした。
皇帝が生活していただけあって、広い。黄色い屋根と赤い壁が力強い。皇帝っぽい。
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主に腰痛と戦いながら見て歩いた(天安门のあたりから痛かった)。

故宫のあとは北の景山公园へ。入場料2元。皇帝が自害したところに碑があるのと、頂上から北京の街がよく見える、くらいの公園。観光客は少なめ。

風が気持ちよくて、頂上のベンチで一時間くらい本読んだり昼寝したりしていた。ここからは北京の街が見渡せる。最後に見れて良かった。また北京に来たいと思った。

晩御飯は6時台。中国の晩御飯は日本より早め。5時くらいから人が入り始める。


五日目(北京→济南→曲阜)

朝7時にチェックアウトして、地下鉄で北京南站へ移動。
鉄道で北京から济南、バスで曲阜へ。

中国に行ってきた(抄)

関西空港から出発して、上海を経由して北京へ
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円明園に行きました
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万里の長城を見ました
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北京から済南を経由して曲阜へ行きました
曲阜は孔子ゆかりの地です
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曲阜からバスと夜行列車で蘇州へ行きました
一日目は蘇州からバスで揚州へ
揚州は鑑真のお寺があります
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蘇州は地下鉄が開通して東西の移動がだいぶ楽になってました
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蘇州から鉄道で上海へ
晴れている上海は初めてだった気がする
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今日帰って来ました
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補足:
上に着ている服をまくり上げてお腹を露出するファッションスタイルのおじさんを多数目撃した。京都の鴨川のおじさんは上半身裸になるのに、中国のおじさんは乳は隠すスタイルである。文化の違いだなあ。

H24年度前期まとめ

成績も出たということでまとめておく。

履修した科目

  1. 情報理論
  2. 線形代数学続論
  3. 情報と社会
  4. 論理回路
  5. 数理論理学
  6. コンピュータネットワーク
  7. エレクトロニクス入門
  8. プログラミング言語(計算機)
  9. 熱力学
  10. 図学A
  11. 計算機科学実験及演習1(計算機)
  12. 確率論基礎
  13. 英語IIA
  14. 微分積分学続論A
  15. 数学科教育法II ※通年
  16. 比較教育学
  17. 教育心理学III

去年の前期の21コよりは少ないけれど、バイト始めた後期の14コよりは少ない。
レポート試験が少なくて、12コくらい試験を受けたのがわりとしんどかった。
今回はテスト期間にバイトが入ることを見越して早めに勉強をはじめていたのだけど、全然足りなかったみたい。

感想とか

情報理論(西田先生)

月曜1限ということもあってか、同志が次々と来なくなる中で(最後の方は一桁くらい)、特に家ですることもないので出席していた。
講義資料をWebにアップしてくれる。ほとんど教科書の内容だが、配列が違う。計算過程が教科書より詳しいので、併せて読むと良さそうだった。
試験前に「証明をやったほうがいいですよ」と言われたにも関わらず不十分で行ったら死んだ。
試験範囲は教科書ほぼすべてなので、ちゃんと理解して臨もうと思ったら早い段階から勉強しとかないといけない。まずは通信路容量をきちんと理解することに努めれば、講義も理解できてよかった気がする。

線形代数学続論(稲場先生)

中間試験が1回あって、試験不発でも救われた。
ジョルダン標準形をきちんと計算で出すことが目標、みたいな講義だった。
ひたすら定理などが提示されて証明を行なっていくのだけど、たぶんほとんど誰も理解してなかったと思う。
中間試験は対角化の計算問題がほとんどだったが、期末試験は証明と半々くらいだった。
中間試験では計算をミスり、期末試験では計算式をミスって簡単(らしい)問題を落とした。去年の線形代数から何も進歩してない。もう線形代数向いてないと思う。

情報と社会

睡魔との戦い。内容は概ね面白かったけれど、内容が被ったりして退屈なときもあった。
情報と社会を絡ませると著作権に流れるのは仕方のないことなのか。
試験はレポート4個。分量が多いと嘆く人が多かったけど、別に何週間もかかるレベルではなかったと思う。

論理回路(高木先生)

教科書がAmazonのレビューで酷評されていたけど、それほどひどくなかった。むしろ例が豊富でわかりやすいほうな気がした。ただ、段落をもうちょっと区切れば読みやすいのに、というのと、はるか前方の例題を参照するのがめんどくさい、とは思った。
毎回レポート課題が出る。いつも1題から多くても3題程度で、講義の復習問題。
試験問題はレポート課題と似たような感じで、日頃からレポート課題をちゃんとやってれば余裕。ただ80点以上取らないと追加のレポート課題や、再試験を受けないといけなかったらしい。意外と捕まっていた。

数理論理学(高崎先生)

先生の語り口調が面白い。
証明は機械的でとっつきやすい感じだけど、試験では本質的なこと(用語とかも)を聞かれるので中途半端にわかった気になると危ない。
友人のおかげで助かった感じがする。
試験前に、昨年度履修登録者109人に対して取得者29人ということで話題になったけれど、今年度はどうだったのか。

コンピュータネットワーク(岡部先生)

まだ成績が出てない。
基本情報技術者を取ったときに勉強したなー、という感じで懐かしかった。
後半は外部講師に講義をしてもらえる。OSSの話もあって、なかなかおもしろかった。
試験は用語説明が主だった。

エレクトロニクス入門(守倉先生)

最初の講義を聞いてから、次に出席したのが6月の後半だったと思う。5限ということもあった。
教科書を中古で買ったら書き込みがいっぱいされていて、読んでたら勉強になった。
例題を解いて過去問を解いて試験に臨んだ。試験は過去問と例題から出されていて助かった。
エレクトロニクス入門でも論理回路を扱うけれど、もう勉強していたところだったから特別に何かすることもなかった。

プログラミング言語(奥乃先生、五十嵐先生)

SICPの3章と4章をやった。
4章では教科書を理解するために独自のテキストを用意してきてくださったりしてすごかった。講義受けた甲斐があったと思った。
毎回レポート課題(LaTeXで書かないといけない)がある。問題は難しくないけどプログラムの説明がめんどくさかった。
前半と後半で二回試験があった。教科書を読んで、どの手続からどの手続きに何が渡されて何を返されるのか、というのを把握しておく必要がある。でも、問題文に書かれていることを実装するだけなのが多いので、Schemeがちゃんと書けたらそれほど対策することもない。

熱力学(木下先生)

OCWで講義資料が公開されている(先生は違うけど)。だいたいそれに従って進められる。
あんまり厳密な話や数学的な話はなくて、なんか高校物理っぽかった。
レポート課題が2回あったけど、期限が1か月先とかでゆとりがあった。
試験もレポート課題がベースになっていた。サイクルとかMaxwellの関係式とかをちゃんと覚えていれば解けると思う。

図学A(西垣先生)

解説がとても短く、演習時間がほとんど。習うより慣れろという感じ。そして毎回10分くらい遅刻してくる。ある日は12分遅刻し、5分解説し、残りはすべて演習だった。
周りに図学Aを履修した友達がいるか、わからないことは積極的に質問する姿勢がないとしんどい。
たまに教科書の演習問題からレポート課題が出る。基本的問題はほとんどなくて、どれも少しひねってある。
試験は2題。ほとんどレポート課題で出た問題と一緒だった。

計算機科学実験及演習1

ソートをC言語で実装した。
プログラミングやってる人にとってはただの復習。ただ、scanfは使っちゃダメだったり、入力の形式が特殊だったり、むしろ仕様が決まってなくてテストケースもなかったりしてめんどくさかった。
演習中に、こんなプログラムにすらバグを埋めるのか、というのがよくあって落ち込んだ。高2の頃のほうがよく書けた気がする。
最後の総合課題は書くことが意外と多かった。モジュールをたくさん分けると説明が増えて死ぬ。

確率論基礎(吉田先生)

教科書がわかりやすく、講義も教科書のトレースだった。全体で5回くらい出席した気がする。
教科書が面白いので講義に出ないくせに勉強はしていた。
試験はレポート。提出日前日まで手をつけていなかったけど、なんとかなったらしい。

英語IIA(五十嵐先生)

スティーブン・ピンカーの『Words and Rules』(2000)を読んだ。
1回生のときもそうだったけれど、先生が言語学とかを専門としていたりするので、語学の講義のはずなのに言語について講義してもらっているみたいになって面白い。
毎回担当者を決めて、それぞれ1ページずつをまとめて発表する。媒体は紙だったりスライドだったりいろいろ。
中間試験が一回あった。学校の英語の試験っぽい試験だった。範囲が広いのと、講義で英文法的なことをほとんど扱わないせいで難しく感じる。期末試験も中間試験と同じ感じだった。

微分積分学続論A(西村先生)

教科書もなく、板書も取りづらいので苦戦した。文字がベクトルをあらわしているのか、スカラーをあらわしているのか、この部分は総和なのかそうじゃないのかわからないことがよくあった。
というか、しょっちゅう睡魔に負けたのがよくない。
講義では総和規約を使う。慣れないと何やってるのか全然わからなかったが、使ってると手放せなくなる。
ほとんど毎週レポート課題が出る。めちゃくちゃ難しかったり、アホみたいに簡単だったりする。
演習の時間が1回と、中間試験が1回あった。
期末試験はレポート課題と中間試験の内容+αみたいな感じだった。証明は覚えなくてもいいが、ベクトルの発散、勾配、回転の計算のほか、Greenの定理、Gaussの定理、Stokesの定理は使えるようになってないといけない。

教育学部科目とか

保留

プログラミング勉強会的な何か 第7回

図書館のネット環境に苦しめられた

成果

  • ソシムのWordpressデザインブック(何ヶ月か前に購入)を進めた
  • 図書館のWi-Fiがなぜか不安定でモチベーションが抑圧された
  • 挿入ソートの実装を見守った
    • できてた

感想

図書館のネットが遅いので生産性が上がらないのか、単に集中力がないのか、微妙なところである。